先日、サンボの稽古中に指摘されたんだけど、僕は"ビビリ"だと。
うーん。自覚は無かったんですが。
確かに組み手争いのときに後ろに下がり続けるとか頭を下げているとか指摘されることはあるけど、怖くてやっているつもりは無いんだよな。というか自分がそうなってることも自分では分からないことが多いし(汗)
なので勇気を持って組み合おうとかメンタル的なところで改善しようとしてもやっぱり同じようなことを言われる。
一体どうしたらいいんだ…と思っていたんですが。
ところで、先日、いまごろになって宮本武蔵の「五輪書」の訳本を購入しました。
恥ずかしながら、いまだに新渡戸稲造の「武士道」の解説本も、「五輪書」も未読なんですよね^^;)
それで、読み始めてすぐにハッとしたんですけど。こういう記述がありまして。
「『兵法の道における心の持ち方』は、平常の心と変わってはならない。つねのときも、合戦のときも、少しも変わらず、広い視野から真実を見きわめ、緊張しすぎず、少しもだらけず、心が片よらぬよう真ん中に置き、心を静かにゆるがせて、そのゆるぎが一瞬もとまらぬよう、つねに流動自在な心の状態を保つことに、意を用いねばならない。
体が静止しているときでも心は静止せず、敏捷に行動するときも心は平静に保ち、心は体の動きにひきずられず、体は心にひきずられることなく~(大河内昭爾氏 訳)」
あーなるほどなと。
心がビビッていると萎縮して身体が動かなくなるのは言わずものがな。
ビビッてるつもりや自覚が無くても、ビビッている人のような動きをしていたら、心もひきずられて臆してしまうんだな。
そして心に引きずられて身体が動かなくなってしまうような未熟な人が冒頭の「平常の心と変わってはならない」を先に実践しようとすると、激しく動こうとしても身体が動かなくてただボーッとしているのと変わらない状態になってしまう。
つまり体と心の連動を一旦切り離した上で、身体だけを激昂したかのように激しく動かしてなおかつ意識は冷静に保てるようにならないといけないんだな。
でも、冷静に大局を見ないと平常心は保てないから、そのためにはまず身体と技を身に付けないとそういう余裕は出来ないもんな。
そのためには勇敢な人のように動かなければならない…なんだか循環論法になってきました(笑)。
思いついたことをつらつらと書き出してみただけなのでわかりにくいですね、読んでくださった方はすみません(汗)