今日、アンコーが死んだ。うそ。まだ死んでない。
母親方のおじさんが危篤だそうだ。親戚づきあいはあまり緊密ではなかったけど、僕はこの人にはとても世話になった。
あまり詳しく聞いたことが無いんだけど、この人は戦時中皇室の近衛兵として働いていたらしい。頭脳明晰でスポーツも万能の上、眉目秀麗でなければなれなかったというのだから、かなりの傑物だったようだ。
戦後、商人の丁稚として働き、かなり大きな店の番頭になり、跡取りが行方不明だったのでゆくゆくはその店は叔父のものになるはずだった。しかしある日突然放蕩生活をしていた息子が帰ってきたので、叔父は全ての財産をそっくりその人に明け渡し、無一文になった。その後行商人になり、早くに無くなった父親の代わりに稼いで10だか20歳近く歳が離れた母親を卒業させるまで養い続けた。
人に歴史あり。今思えば、もっといろいろな話を聞いておきたかった。でも、父方の親戚の間の付き合いがあまり良好でなくなり、そちらが疎遠になったせいで母方の方もなんとなく付き合いづらくなったせいで、ここ6,7年間は正月も会えないでいる間にこうなってしまった。
その間叔父の家でも、最近ありがちに年寄りを大事にしない雰囲気になってきて、かなり寂しい思いをするようになっていた。以前は昔ながらの年長者を敬う家庭だったのに。古きよき伝統は核家族化と住宅事情に勝てない。
最後に会ったのは去年の七月。叔父には言わなかったが、翌月には東京に来ることになったていたので、その挨拶も兼ねるつもりで会いに行った。声量がとても弱弱しくなっていたのを覚えている。もうこれが最期になるかもしれないと思った。
昔の記憶はひとつの財産だ。しかしもう全てを聞くことも無いまま失われる。それはきっと仕事のための勉強よりもずっと貴重なことだ。今学べることを後悔が無いように学んでおきたい。
そしてゆくゆくは僕にも、こうしてその時代の若者に惜しまれる死を。