肘の痛みはだいぶ和らいだけど、思い切り伸ばすのと縮めるのがまだ出来ない。しかしこれの回復を待っていたらきりが無いのでついにムエタイ復帰。久しぶりだったのでいいストレス解消になった~。3Rで辞めたけど、回復も早かった。多分久しぶりだったので身体が驚いてしまっただけで、スタミナはすぐに元に戻ると思われる。
しかし、ストレスが溜まったままの状態というのはよくない。ネガティブに考えすぎてドツボにはまる。いくらよく考えて結論を出そうとしても『自分が頑張ろうが頑張るまいが生きようが死のうが世は平穏何事もなし。いくらカツカツで生きていようがたとえば毎朝の通勤で事故にでも遭えばあっという間に人生終わってしまう。人間なんて虚しいものだなぁ。だったら無難に隅っこでこっそり生きていよう…』になってしまう。確かにその通りなんだけど、これじゃ考える甲斐が無いよなぁ。
ところで今週の『史上最強の弟子ケンイチ』には考えさせられた。
ケンイチのかつてのライバル武田の「じりじりとでも成長し続けるにはどうしたらいいのですか(大意)」の問いに対して梁山泊の長老は答える。
「どんなに苦しくてもがむしゃらに立ち向かうことじゃ(というような趣旨の台詞)」
あ~。ほぼ裸一貫で上京してきた頃、僕は平均的な同年齢の人と比べると間違いなくガムシャラだったはずなのに、いつの間にかギラギラした精神を失ってるなぁ…と感じた。
そもそも家族も友人も仕事も社会的地位も、何もかも地元に捨ててきた自分には守るべきものも人もいないはずなのに、気がつくといつの間にか守りに入っている。もともとたいした取り分なんか残されていないのに、何を未練たらしく後ろにあるものを振り返っているんだ??
世の中、たとえば無責任なファンの手にかかれば桜庭和志や前田日明ですら「八百長猿」とか「格闘技もどきの裸踊り」とか(ネット上でな)言われてしまうものだ。あれほどの英雄だって痛みや恥を被るのだ。いわんや僕ごとき素朴な文化人をや。何をだな、怖がっているんだか。
かっこよく生きても一生、無様に生きても一生、かっこよく生きようとしたけど無様に死んでも一生、そんなつもりはなかったのにいつの間にかかっこよくなってたって一生。どれもたいした違いは無い。でもこれだけは言えるんだけど、いずれかを選ぶ権利は自分が持っている。
さて、今からでも返品は効くかな…(笑)。
追記:今日ムエタイの練習しただけで、増えてきてた体重がまた2kg減っていた。僕にはたいした力は無いけれど、己を変える力だけは確実に持っているんだぜ(笑)。